日露戦争先勝碑 安仁神社参道口

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安仁神社の参道口に日露戦争先勝碑」があります。
1904年(明治37年)2月6日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、
大日本帝国ロシア帝国との間で朝鮮半島と中国満州(現在の中国東北部)を主戦場とした戦争です。
日露戦争の歴史を見るとやたら犠牲者の数が大きいです。

でも大国ロシヤ帝国にかって日本陸軍も舞い上がったのでしょうか。
1909年の『歩兵操典』の改正により、日本陸軍
「火兵主義」から「白兵主義」へと転換してしまいました。

「白兵主義」とは、白兵(刀の付いた武器の総称)を用いて接近して戦うのが白兵戦(闘)で、
白兵戦こそ戦闘の基本という考え方です。
日露戦争以降の第一次世界大戦を通じて、火器(火薬の力を利用する武器の総称)は大きく改良されて行きます。
もはや、世界は「白兵主義」から「火兵主義」に移行している時代に、日本は逆行していったのです。
海軍・空軍(まだこの時代は、海軍所属ですが)の時代に、陸軍が「白兵主義」のもと、自滅していった結果が、第2次世界大戦での戦争犠牲者の多さでしょうか。

また、映画・TVの戦場シーンでやたら斬り合いますが、これも「白兵主義」の影響ではないでしょうか。
(参照:鈴木眞哉『謎とき日本合戦史』)