2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

吉備の国の「岡山市」その区割りは!

岡山市の政令都市移行に伴う、区割りがもめているようですが、どうなるのでしょうか? 藤井村は岡山市の東端で、どんな区割りになっても日のあたる場所ではありません。 周辺辺境過疎地(東部と北部だけだと思いますが・・・)はどうなるのでしょうか? とは…

吉備国の中の、<岡山市>

吉備は、「備前・備中・美作・備後」の4国です。 旧国の郡(1878年 「郡区町村編制」)は下記の通りですが、もはや地図上に無いところが多くなりました。 邑久郡もそうですが・・・・・ 「備後国」は広島県なので、なじみがないし、わかりませんね! 備…

藤井村のミチシルベ<北ノ路>

橋詰から藤井村へ東へ行くと、最初にあるミチシルベは、安仁神社への参道口です。 次のミチシルベは、そこから東に100m位?、丁字路にあります。 表示は、「牛窓かし乃」←→「せきかみ宮」です。 最初のミチシルベは大正11年で、こちらは13年で、2年…

「安仁神社」は何故、「二ノ宮」なのか?

ところで、『安仁神社』は何故、「二ノ宮」なのでしょうか? 『ウィキペディア(Wikipedia):安仁神社』によると、 <平安時代後期に編纂された延喜式神名帳では備前国では唯一の名神大社に列せられている。 元々は当社が備前国一宮となるはずであったが、…

藤井村 備前二ノ宮 「安仁神社」

安仁神社の参道に「一宮道」とありますが、「備前一宮」ではありません!『二ノ宮』です。 そもそも、「一ノ宮」とは何でしょう?『ウィキペディア(Wikipedia)』では、 <一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。…

藤井邑「一宮参道」「東 せきがみ宮」

「東片岡 橋詰め」から東へ、四丁? 安仁神社の参道があります。 そこのミチシルベには、 「一宮参道」「東 うしまど かしの」「せきがみ宮へ八丁」「西 岡山西大寺」 となっています。大正十一年三月建です。 橋詰めからの「行啓記念一宮道」は、大正十五年…

藤井邑への入り口

まだ大宮村が邑久郡だった頃は、藤井邑への入り口は、鹿忍からの東口だったと思います。 西大寺市になり、牛窓・千手との連帯意識が希薄になり、西大寺の枠組みの中 入り口は、西からの道に移行していったのだと思います。 最初のミチシルベは、県道28号「…

藤井邑へのミチシルベ(道標)

藤井邑の中にも、幾つかの「ミチシルベ(道標)」があります。 もちろんこれは、村外の人を意識したモノです。 当然、村内の人にはこのような案内は必要ありません。 それだけ、人の流れがあったということです。 安仁神社は勿論、結構「咳神様」を訪れる人…

藤井邑の新旧の往来

藤井邑を巡る往来(道路)は、時代によって、かなり変わって来ています。 まとめてみればなかなかおもしろいです。 ①藤井湾があった(吉備の穴海のあった)平安時代以前 → 牛窓・鹿忍から西行きは、半島を経て、「児島」の島へ海の道。 主なる大移動は、海路…

祠?いえ、某家の「屋敷守り」です。

藤井邑の祠達は、コンクリート製の「やしろ」をもっています。 ここにも、同じような「おやしろ」があります。 でもこれは、某家の「屋敷守り」です。 実は、この某家の先代は、「腕の立つ左官さん」でした。 今までのやしろ達は、この左官屋さんの手になる…

藤井邑にも「豆腐屋さん」があったのです。

暑かった8月も終わり、やっと9月です。 夏バテの中、今年は良くとお豆腐を食べました。 掌サイズの樹脂容器のお豆腐にお醤油もかけないで そのままスプーンで食すると、大豆本来の味が良く分かります。 製品によりかなり違いがあります。 ふと思い出しまし…