藤井邑を巡る往来(道路)は、時代によって、かなり変わって来ています。
まとめてみればなかなかおもしろいです。
まとめてみればなかなかおもしろいです。
③幸島新田が出来、吉井川東岸の地形が大きく変わった江戸時代
→ 幸島新田が出来き、地形が変わり、
牛窓往来を中心とする、人・物の移動が活発になる。
ただ、新田を横切る様な往来は出来ず、徒歩での移動の道路は大きく変わらず!!
→ 幸島新田が出来き、地形が変わり、
牛窓往来を中心とする、人・物の移動が活発になる。
ただ、新田を横切る様な往来は出来ず、徒歩での移動の道路は大きく変わらず!!
⑤バス路線の拡大(昭和)
→ 小型バスによるバス路線の拡大。ある程度道幅が確保できる道路の整備拡大。
→ 小型バスによるバス路線の拡大。ある程度道幅が確保できる道路の整備拡大。
⑥自家用自動車の普及(昭和40年代以降)
→ 移動の中心は、自家用車になり、徒歩での移動は無視される。
主要道路の整備が中心となり、村と村をつなぐ細道は荒廃。
岡山市の東端である「藤井邑」は、過疎化が進行!
→ 移動の中心は、自家用車になり、徒歩での移動は無視される。
主要道路の整備が中心となり、村と村をつなぐ細道は荒廃。
岡山市の東端である「藤井邑」は、過疎化が進行!
地図には存在するものの、実際はもはや通れない幅1m以下の道路が増えてきています。
カントリー派の、ハイクリスト・サイクリストは注意が必要!です。
カントリー派の、ハイクリスト・サイクリストは注意が必要!です。