藤井邑へのミチシルベ(道標)

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藤井邑の中にも、幾つかの「ミチシルベ(道標)」があります。
もちろんこれは、村外の人を意識したモノです。
当然、村内の人にはこのような案内は必要ありません。

それだけ、人の流れがあったということです。
安仁神社は勿論、結構「咳神様」を訪れる人が多かったようですね。
今では考えられませんが。
これらの「ミチシルベ(道標)」は大正時代のモノです。