2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

<犬島> 邑久郡の島 海部の拠点?

犬島は、邑久郡西端にあり、古代吉備の穴海の東入口の要にあります。 「藤井村」の氏神様『瀧神社』の南に位置し、直線で結んだその途中には、『宝神社』があります。 これが、海部=海賊(水軍)の、ネットワークと考えるのが自然ではないでしょうか。 薬師…

古代吉備 海賊の拠点 『藤井村』

さて、しばらく歴史ネタから離れます。 「藤井村」に住んでいないと分からない謎解きです。 もしあなたが、海賊ならどうしますか? 相手に分からない、連絡ネットワークが大事です。 海賊の拠点は、相手に分からない山陰 → 今は、氏神様の『瀧神社』 連絡の…

吉備の「海部」の活躍

まず吉備の国は、『石上布都之魂神社』を中心として、「製鉄」により『物部氏』=初期近畿政権と関係していました。 その後に、来るのが『神武の東征』です。 神武は、九州を発し途中吉備国高嶋宮に八年間お住まいになった。 そして、その後更に東征するわけ…

「平賀元義」から『藤井村』へ

前回、コメントした「平賀元義」は、『布勢神社』ゆかりの歌人です。布勢神社は、赤穂線大多羅駅東の坂を登ったところにあります。氏子地域は、<大多羅町、目黒町、長利、中川町、益野町、松新町、富士見、可知、西大寺松崎>です。 さてここから、少々強引…

西大寺ゆかりの人物 『平賀元義』

邑久郡の人なら『平賀元義』知っていますよね? ほら、赤穂線大多羅駅にある、「平賀元義翁墓所」の石碑は見たことがあるでしょう! 「おかやま人物往来」によると・・・・ http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/hiragamotoyoshi/motoyosi_s…

八岐大蛇を切った剣が、吉備の国に!

素戔鳴尊は出雲国の斐伊川の上流で八岐大蛇から、奇稲田姫を救うため、自ら帯びている十握剣を抜いて戦い大蛇を殺して寸断する。 これは、神話世界の話で、「神武の東征」以前の話です。 この十握剣=布都御魂(ふつのみたま)は、最初、備前国 赤坂郡 石上…

藤井の歴史 安仁神社の謎??

藤井村にある、『安仁神社』ですが、謎多き神社です。 この謎を調べて行くと、もう「藤井村」の歴史に留まりません。吉備国・大和朝廷の歴史に踏み込んで行くことになります。 ①『式内社(備前国 名神大社)、備前国旧一宮で、旧社格は国幣中社 にもかかわら…

八十六番札所

藤井にあるもう一つの札所 八十六番。横江と北ノ路に相番があります。 順拝の道順により、二ヶ所の内の一つにお参りしたのでしょうか? しかし、「邑久郡南巡り八十八ヶ所」の順番はどの様にして決めたのでしょうか? 理解しがたい所が何ヶ所かあります。 以…

八十七番札所からの眺め

遠くに児島湾を望む事ができます。眼下の藤井の小字『横江』地区は名前の通り、その昔は入り江でした。 邑久の海賊(=海部)にとって、吉備の穴海を行く船を監視するには少々不便な場所ですが、 古墳を作り、遠くを望むには最適な場所だったのでしょうか。

八十七番札所

藤井にある八十八ヶ所札所の内、二ヶ所ある二つのうち一つである、八十七番札所は、硫黄山の「大岩場」にあります。なかなか、良い眺めのと事です。

邑久郡大師霊場

邑久郡も、岡山市・瀬戸内市に分かれてしまいましたが、かっては、郡内の交流は盛んでした。 一世代前までの親戚は、郡内が多いです。 「yamane」が幼少の頃は、大きい病院と言えば、牛窓町・邑久町でした。 (ここで言うのは、「明治22年6月1日 町村制施行…

牛窓ペンション村 「ミルクランド地区」

瀬戸内市の千手 上山地区に、牛窓ペンション村 「ミルクランド地区」があります。 もう20年以上の歴史のようです。牛窓ペンション村は、牧場あり、もちろん海もありで、癒されます。 でも、40年くらい前は、牧場があるのみでした。道路もずいぶん狭いも…

藤井の古墳。こんな所に!?

藤井には古墳がたくさんあります。でも、硫黄山の南斜面にあるのはわかります。 操山(みさおやま)の南斜面にもたくさんありますが、同じ条件でしょう。 でも、意外なところにも古墳があります。 下記の『邑久郡誌』にもある、「清谷(せいたに)」です。 …

おかやま全県統合型GIS

岡山県の色々な事を地図で調べるには、『おかやま全県統合型GIS』が便利です。 藤井の古墳群も調べることができます。 おかやま全県統合型GISは、岡山情報ハイウェイを活用して県下全域の航空写真のデジタルオルソ画像を配信する全国初の本格的な全県統合…

硫黄山! 硫黄がでるの?まさか、何を 「IWOU」!!

藤井の北部は、「硫黄山」です。どうして、「IOU」なのでしょうか? 硫黄山には、写真の『大岩場』以外にも、たくさんの岩が散見できます。それらの多くは古墳址らしいです。 この山は、かっては『岩尾山』だったのではないでしょうか? 岡山弁だと、「I…

藤井村のえらい人『藤井孫次郎惟景』

藤井村の「藤井さん」です。まあ、藤井ですから。鎌倉時代後期の人で、地名『殿屋敷』の由来の人です。 記録によると、 藤井惟景附藤井惟政『備前國誌』に、「藤井孫次郎惟景、元亨(げんこう 鎌倉時代後期1321 ~ 1324)以前の人、鹿忍庄下司とあり、藤井村…

殿屋敷。古墳が!!!

「西大寺一宮苗圃公園」は、県道235「橋詰千手線」の「北之路」にあります。 入り口の、北側は『殿屋敷』という小字です。 妙な石組みがあります。古墳です!! 藤井には古墳がいっぱいあります。