吉備の「海部」の活躍

イメージ 1

まず吉備の国は、『石上布都之魂神社』を中心として、「製鉄」により『物部氏』=初期近畿政権と関係していました。
その後に、来るのが『神武の東征』です。
神武は、九州を発し途中吉備国高嶋宮に八年間お住まいになった。
そして、その後更に東征するわけですが、その前後の協力者が、『吉備の海部』です。
『吉備の海部』の本拠地は、邑久地域だと言う説があります。

「安仁神社」のある「藤井」は、吉備の穴海の最東端で、外部からその存在を隠すのに最適な特異な地形をしています。海部の拠点である事を、傍証する種々の足跡も存在します。

「藤井」は、「海部」の拠点でした。・・・海部って、様は海賊ですよね。

『yamane』は、海賊の子孫ですか!!おいおい!

実は、和歌山にも「吉備」と言う地名があります。紀伊国有田郡吉備郷。吉備の海部の仲間です。