藤井村 の 歴史

藤井村 vs 吉備津神社の社家『藤井氏』?

吉備の国で、『藤井氏』といえば、吉備津・吉備津彦神社の社家が有名です。 さて、藤井村にある「安仁神社」と「吉備津彦神社」も古代交流があったようですが、 どちらの「藤井」が先なのでしょうか? http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/kibitu.htm …

『太美』氏」の謎!!

『太美直徳』は、初めは「宮崎大江」と称し、後に『太美』氏を称したようです。 松崎新田ができたとき、藤井村から移住した一族の一つに「宮崎氏」があります。 宮崎氏は、安仁神社社家の一つとして歴史があるようです。 宮崎氏は備前吉備津彦神社の神官で藤…

安仁神社 主祭神の謎! 『太美氏』の謎!

安仁神社の主祭神については、種々あります。 明治3年の「神社明細帳」では「未詳」と書かれている。 現在の「五瀬命」は明治8年に安仁神社社務(神職)が作成した「安仁神社御傳記」に初めて現れるが、 大正14年に社務所が作成した「安仁神社誌」では、や…

藤井村の偉い人『太美直徳』

「改訂邑久郡誌 下巻」によると、『太美(たみ)直徳』は、 藤井の人、初めは宮崎大江、後に太美直徳と称し、鶴山樵夫と號丁、贄を大阪後藤松陰に執る。 一、明治元年十一月二十二日安仁神社々務職相続 一、同二年七月二日第六大隊教授申付候事、六大隊監事…

古代吉備 海賊の拠点 『藤井村』

さて、しばらく歴史ネタから離れます。 「藤井村」に住んでいないと分からない謎解きです。 もしあなたが、海賊ならどうしますか? 相手に分からない、連絡ネットワークが大事です。 海賊の拠点は、相手に分からない山陰 → 今は、氏神様の『瀧神社』 連絡の…

吉備の「海部」の活躍

まず吉備の国は、『石上布都之魂神社』を中心として、「製鉄」により『物部氏』=初期近畿政権と関係していました。 その後に、来るのが『神武の東征』です。 神武は、九州を発し途中吉備国高嶋宮に八年間お住まいになった。 そして、その後更に東征するわけ…

藤井の歴史 安仁神社の謎??

藤井村にある、『安仁神社』ですが、謎多き神社です。 この謎を調べて行くと、もう「藤井村」の歴史に留まりません。吉備国・大和朝廷の歴史に踏み込んで行くことになります。 ①『式内社(備前国 名神大社)、備前国旧一宮で、旧社格は国幣中社 にもかかわら…

藤井村のえらい人『藤井孫次郎惟景』

藤井村の「藤井さん」です。まあ、藤井ですから。鎌倉時代後期の人で、地名『殿屋敷』の由来の人です。 記録によると、 藤井惟景附藤井惟政『備前國誌』に、「藤井孫次郎惟景、元亨(げんこう 鎌倉時代後期1321 ~ 1324)以前の人、鹿忍庄下司とあり、藤井村…

藤井村のえらい人『藤井平作』

藤井村 北ノ路の、「丸山谷川」と「藤井川」が交わるところに、『藤井平作翁頌徳碑』があります。 『藤井平作』とは、どのような人物でしょうか。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 村政に終始し一村の為に緝睦す。 明治六年安仁神社を岡山…

『風林火山』 山本勘助は、実在したの?

「安仁神社」の主祭神は良くわかりません。時代によって揺らぎも見受けられます。 これは、時の為政者にとって、好ましくない事実があったに他なりません。 「唐突ですが、歴史認識の話です。現在流布している歴史、学校で習う「歴史」は、実はその多くが『…

『藤井』の由来:久世に白猪屯倉はあったのか? 異説もあります!!

『古代吉備王国の謎』山陽新聞社 西大寺図書館で借りられます。 『藤井』の由来 吉備五郡におかれたという白猪の屯倉は、のちの美作に当たる地だった、とされていた。それは、『続目本紀』に神護景雲二年(七六八)に「美作国大庭郡人白猪臣澄人等賜姓大庭臣」…