藤井村 vs 吉備津神社の社家『藤井氏』?

 吉備の国で、『藤井氏』といえば、吉備津・吉備津彦神社の社家が有名です。
さて、藤井村にある「安仁神社」と「吉備津彦神社」も古代交流があったようですが、
どちらの「藤井」が先なのでしょうか?

http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/kibitu.htm
藤井氏も王朝時代から当社に仕えた祠官であった。 
六正官(賀陽氏)に次いで御饌司一人、大饌司兼本宮司一人が、ともに藤井氏を称した。 
『元享釈書』 『拾遺往生伝』 によると吉備津宮の神官に藤井久任あり、寛治四年(1090)
都宇郡撫河郷の柴津岡に薪を積んでその上に座し、念佛を唱へながら往生の素懐をとげた、火定の人として特筆している。
 近世の初頭のころ藤井氏を称する社家は三十余家に及んだ。 
これらの藤井氏のうち御饌司と大饌司を世襲した藤井高安家と藤井末吉家は賀陽氏四家と共に社家頭として七十余家の社家達を統率して社務を司り社領の支配に当った。 
たまたま貞享から享保にかけて事により六家の社家頭は追放され、代って藤井氏三家、堀家氏二家が新に社家頭(社司とも神主)となり維新に及んだ。