安仁神社 主祭神の謎! 『太美氏』の謎!

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安仁神社の主祭神については、種々あります。

 明治3年の「神社明細帳」では「未詳」と書かれている。
現在の五瀬命は明治8年に安仁神社社務(神職)が作成した「安仁神社御傳記」に初めて現れるが、
大正14年社務所が作成した「安仁神社誌」では、やはり定められないとして社名に神をつけた「安仁神」としている。
第二次大戦後の昭和27年に作成された「神社明細帳」で再び五瀬命とされ、現在に至たります。

昨日の『太美直徳』氏は、明治元年安仁神社々務職相続 →明治四年称宜 となっています。
明治8年「安仁神社御傳記」の時には、「称宜」です。

そして、大正14年「安仁神社誌」は、孫(?)の『太美 定雄』氏、が関係しています。

 平賀元義は、吉備郡集成吉備之国地理聞書で、「安仁神社の末社にきつき大明神と申すあり。この御社の事奥に論ず、百二十八社の内なり。宮崎が家の説に古はきつき大明神の社地に坐せしを後に藤井村にうつし奉るという。いとうかがわし」とあります。
ここで、「宮崎」氏は『太美』氏の事です。
『太美』家は、『主祭神五瀬命』のからくりを知っていたはずです。