安仁神社の祭神 ④ → 現在の『五瀬命』=神武天皇の「兄」

現在、安仁神社の祭神は、神武天皇の兄、『五瀬命及び「稻氷命・御毛沼命」です。
邑久郡誌では、「其の安仁を似て兄の假字といへるが如きは、謂ゆる頭かくして尾を隠さいるものなり。」と、酷評されています。

神武天皇東征伝説の舞台に、「吉備國 高島宮」がありますから、
吉備国の海岸部には色々な神武天皇にまつわる伝説が残されています。
そこから発想したものでしょうか?

邑久郡誌では、
安仁神社一に久方宮と称す、
 祭神一座五瀬命神武天皇皇兄に座す)相殿二座稻氷命・御毛沼命末社(左輔神十八座、但し一 宇合祀、右輔神十八座、但し一宇合)一に幾多神と称す。
 これの安仁神社は神武天皇の皇兄五瀬命を奉齋れる御社にして、相殿に稻氷命・御毛沼命を配祀せる也。
 さて社號の安仁の名義は兄の假字にて兄の神社と申義にて、當國に鎮座ある式内の神二十六座の中、 當社は素より大社なるが上に、仁明天皇承和八年名神に預らせ給へるは、往昔より厚く御尊崇遊ば されし朝旨炳焉也。そは神武天皇の皇兄にまします故なり(中略)五瀬命は御東征の御創業を吉備國 高島宮にして数年の間総括し給ひ聖慮を悩ませ給ひて、御大業遂させ給はず御陣中にして賊矢の爲 に聖體崩御し給へるは、二千五百余年の今日まで恐歎懼謂し奉るに堪へず。況や皇太弟とます神武 天皇、いか計か振怒追悼ましましけむ。然して皇弟大和國に入らせ給ひ登極し給ひける後、皇兄五 瀬命数年此吉備國に行在遊し兵食を備蓄し舟檝(舵)を修補し東行し給へる故、東南の海邊に皇兄 尊の霊宮を建螢し兄神社ご奉称しける神社たる故に久方宮ごも尊称せる也。
 土人の口碑に、むかし西の國から御出なされた天子様の御兄様を祭つた御宮じゃと云ひ傳へたり。. 一字の名称は二字改め改め好字をとれ、美名をつけよと奈良の大宮に天下統御し玉ひし時宣布給へ るによりて兄を安仁の文字改めけるにや。

この杜記中、二千五百有余年の今日云々とあれば、無論維新後社司社掌等の作りたるものにして、これ古史に決して見る所なきより、其の安仁を似て兄の假字といへるが如きは、謂ゆる頭かくして尾を隠さいるものなり。