山南、四ヶ村。朝日村

「藤井村」のある、山南中学校区は、かって「太伯村」「幸島村」朝日村「大宮村」の4ヶ村からなっていました。
朝日村の由来は、『朝日山』です。

『朝日』に関しては、岡山市電子町内会」が参考になります。
http://townweb.e-okayamacity.jp/asahi-r/index.html

東片岡地区に関する記事には、
東片岡は西片岡の東にあり、鎌倉前期に領主であった片岡八郎経春にちなんで片岡村と名付けられていたが、後に東西に分かれて東片岡村になったといわれている。丘陵地が多く畑作物の栽培とか酪農がさかんな所です。朝日八幡宮があり、また朝日山城趾もあることから昔から朝日地区の中心部であったようである。

幸島新田ができる江戸時代以前は、吉井川河口の東に広がる
広大な入り湾の南に突き出した『岬』の村だったはずです。
片岡村は、漁村であり水軍の港だったはずです。

村内の字名に「釜島(カマシマ)」があり、この地名は「安仁神社文書の建久六年(1195年)」の記録に「カマシマ」とある。平賀元義は天慶三年(940年)藤原純友が大軍を引いてたてこもったという釜島は、児島郡下津井沖の釜島ではく、西片岡村の釜島であると主張している(改訂邑久郡史)。

電子町内会の東片岡には、「藤原純友根塚地」とありますが、探しに入っても地元の人もよく分からないようでした。

「安仁神社」と「藤原純友」の関係は、出典が分かりません!どなたか知りませんか?