藤井にある「安仁神社」は、延喜式では備前国唯一の、「名神大社」です。
しかし現在、「備前国一宮」は、延喜式には記載のない「(備前)吉備津彦神社」で、
「安仁神社」は「 二宮 」です。
どうしてでしょうか?『yamane』は、答えは簡単だと思います。
「(延喜式)吉備津彦神社 → 吉備津神社」が、吉備国一宮となったため、
「安仁神社」は、「吉備国二宮」なのです。
『yamane』の<私説>ですが、かって、「安仁神社」は、吉備上道氏の『吉備神社』であり、
「吉備津彦神社」は、備中下道氏の『吉備神社』だったと思います。
上道氏が吉備国を治めていた時代には、両神社は同格ではなかったでしょうか?
しかし、上道氏が滅んだ後は、吉備の政治勢力は「吉備津」に移り、
「(備中)吉備津彦神社」が中心になっていったと思われます。
ただ、その後も「安仁神社」と「吉備津彦神社」は同じ『吉備神社』として交流があったようです。
7世紀後半に、吉備国が備前・備中・備後の3国に分国された後も、
備前国司が「吉備津彦神社」をお参りする為、「(延喜式)吉備津彦神社」の内、
備中国内を、「吉備津彦神社 → 吉備津神社」、
備前国側にあった「朝日の宮」を「吉備津彦神社」と称したと思われます。
実際には備前国司も備中国側の「吉備津神社」を参詣していたのではないでしょか?
備前国神明帳128社の内、「安仁神社」「吉備津彦神社」は、「首座 特別九社」に入っています。
当然、国司が最初に参詣するのは、「吉備津神社」でしょう。
「一宮」自体、由諸や社勢などによって自然発生的に決まったあいまいなもので、時代によっても変遷があり、その国でもっとも大きな・格のある神社というわけではありません。
例えば、皇室をお祀りした大社は(国司が公式参拝する神社としては)格が高すぎ、一宮の対象ではありません。
備前国唯一の名神大社である「安仁神社」としては、「備前一宮」という名称だけの位は、
興味がなかったのではないでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・ 延喜式 近代(明治)
備中国 吉備津神社 名神 官中
備前国 吉備津彦神社 × 国小
備前国 安仁神社 名神 国中
美作国 中山神社 名神 国中
備後国 吉備津神社 × 国小