西大寺ゆかりの人物 『平賀元義』

邑久郡の人なら『平賀元義』知っていますよね?
ほら、赤穂線大多羅駅にある、「平賀元義翁墓所」の石碑は見たことがあるでしょう!
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「おかやま人物往来」によると・・・・
http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/hiragamotoyoshi/motoyosi_short.htm
 歌人、能書家。正岡子規に「万葉集以来唯一の歌人」と評された。
 1800年(寛政12)に岡山藩士平尾長春の子として生まれ、岡山城下富田町で育った。
 1832年(天保3)脱藩し、平賀左衛門太郎源元義と名乗って、備前、備中、美作などを放浪し、多くの万葉調の歌を作った。書を能くし、奔放純情で奇行が多かった、と伝えられる。
 生涯不遇の人で、学才を認められた矢先、岡山市長利の路傍で卒中のため急死した。
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いろいろ調べて見ても、『歌人』として高名です。でも、吉備の歴史を調べていると、時々顔を出すことがあります。理由がわかりました。
国学者としても、『いい仕事してた』のです。

思文閣http://www.shibunkaku.co.jp/)によると・・・・
 幕末の歌人。吉備生。名は直元・長元、号を吉備雄・石楯等、通称は丹介。神典・古学の研究をし、吉備の古社も熱心に調査した。上代への憧れをもち、人間性を率直に表現した万葉調の歌をよんだ。慶応元年(1865)歿、66才。
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