2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧
美作国は、和銅6年(713年)に備前国から内陸部が分立したものです。 『出雲街道』の要所です。 「 美作の分立は、かつての吉備国分解の最終段階であり、 鉄資源を吉備氏から直接、ヤマト政権の管轄下に置くことによる 吉備氏弱体化の意図があったとされる。…
【山陽放送学術文化財団・リポート別冊】 「 神社と鉄についての調査報告 (1983.7.1 刊)」を、県立図書館にて借りてきました。 その中に下記の地図がありました。 『 吉備津系神社 』 やはり、備中が中心です。結構、県外にも存在します。 しかし、やはり…
吉備津彦命 = 彦五十狭芹彦命,若日子建吉備津彦命(稚武彦命),吉備武彦 についてその行動を詳細に抽出されているが、少々解(げ)せぬところがあります。 孝霊天皇時の吉備国平定では、陸路・海路のどちらにしても、「 大伯国 」 が 見られません! ( …
「 吉備武彦 」 は、吉備氏の祖先です。 景行天皇朝における日本武尊東征の従者の一人とされることから、 吉備と大和政権の密接な関係が分かります。 実は吉備が「大和に東遷」する話ではないでしょうか? 吉備氏 『日本書紀』応神天皇22年9月条、『日本三代…
・「 吉備津彦命 」 は、第7代孝霊天皇皇子で、本の名を「彦五十狭芹彦命」 (大吉備津彦命)である。『日本書紀』では、第10代崇神天皇は、 「 吉備津彦 」を西道に派遣するとある。 ・『古事記』では『日本書紀』と異なり、孝霊天皇の時に弟の「 若日子建…
西大寺から、安仁神社(藤井:岡山市東区西大寺一宮)まで、少し遠回りし、休憩しながらのサイクリングでした。上り坂・下り坂は「新永安橋」と「神崎山坂」のみの 平坦な行程です。 ノンビリした東区、吉井川左岸で、車の通行量は少な目ですが、 安心しては…
神崎坂の途中にある『神崎山公園競技場』です。 ・陸上競技場: 第3種公認陸上競技場、400m全天候透水型舗装トラック×8レーン ・サッカー場:天然芝サッカーフィールド(105m×68m) 時々祝休日には競技会が開催されています。 この日は、平日ですが…
西大寺への帰宅道です! 県道28号宿毛から、少し西に進み、「 松江伊津岐神社 」にお参りを。 そのまま県道を西進しても良いのですが、のんびりと 旧道を行きました。 途中、宇喜多氏の紅岸城跡があります。いったん県道に出ますが、また旧道に。 ほんぶし…
通常、藤井(安仁神社)に行くには、県道28号岡山牛窓線の宿毛から、 県道234号を南下します。 自動車の場合、前会の橋詰から、県道235号に入りますが、 自転車の場合、約700m南下した後、東に旧道に入ります。 「北川」地区を進むと、右手(南…
行「水門町」から、少し細めの道を、東に進みます。 県道234号・235号の交差点、橋詰には、 裕仁(昭和天皇)皇太子の「 行啓記念一宮道 」の碑があります。 田圃の中に、道が開けています。旧道は、その南北に河川沿いにあります。 安仁神社までの途中には…
千町川大水門 千町川の河口には、珍しい河洲の堤防「千町川大水門」があります。 近代的な金属製水門に囲まれた、中州に茅葺の家屋があります。 しっかりした石垣の上に立っていますが、数百年の歴史を感じます! 更に進むと、「亀岩神社」があります。 その…
ぼんぼん岩から芥子山を望む 西大寺駅から、吉井川左岸を南下します。 新永安橋から少し進むと「吉井川河口の碑」があります。 なかなか、絶妙な場所にあります。 この場所は、現在とは異なる吉井川の流れ、数百年前は、 東から流れてくる河川の河口でした!…
圃場整備の為の準備が進んでいます。先日、打ち合わせがあり、「営農ビジョン」を 作成することになりました。そろそろ、「麦刈り」「田植え」が始まるので、 急ぐ必要があります。週末、何とか作成し、今日会長宅まで持参しました。 お天気も良いので、自転…