吉備津彦命とは?【 吉備津彦命の正体(岡本正人)1996年刊 】

・「 吉備津彦命 」 は、第7代孝霊天皇皇子で、本の名を「彦五十狭芹彦命

 (大吉備津彦命)である。『日本書紀』では、第10代崇神天皇は、

 「 吉備津彦 」を西道に派遣するとある。

・『古事記』では『日本書紀』と異なり、孝霊天皇の時に弟の「 若日子建吉備津彦命

 (稚武彦命) 」とともに派遣されたとし、針間(播磨)の氷河之前(比定地未詳)に

 忌瓮(いわいべ)をすえ、針間を道の口として吉備国平定を果たしたという。

・『 吉備津神社吉備津彦神社 』 は、「 大吉備津彦命 」 を御祭神としているが、

 【 吉備津彦の命の正体(岡本正人)<近代文藝社>1996年刊 】では、

 実際に吉備国を平定したのは、「若日子建吉備津彦命(稚武彦命)」であり、

 「彦五十狭芹彦命大吉備津彦命)」は、播磨に残り、

 「天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)」として、『日岡神社(加古川市)』に

 祀られている。

・従って、吉備津神社に祀られている、吉備津彦 」 は、「稚武彦命」となる!

「稚武彦命」は、吉備臣(吉備氏)の遠祖で、「 吉備武彦 はその孫である。

「 吉備武彦 第12代景行天皇朝における日本武尊東征の従者の一人とされる 。

※ 吉備津彦が、「稚武彦命」となると、吉備国の見方が少し変わりますね!