桃太郎と吉備津神社

有名な「吉備津神社縁起」ですが、この話は、次の様に解釈できると思います。
①温羅を倒して、初めて「吉備津彦命」を名乗った = 吉備を統一した。
②ただし、反抗は其の後も13年間続いた。
③反抗勢力との融和手段として婚姻関係を結んだ。
④御旗であった「温羅」を鎮魂するために神社を建てた。

各時代・世界中で、繰り返された典型的な征服談ではないでしょうか?

それでは、「温羅」を倒した「桃太郎」を祭る神社はどこにあるのでしょうか?

吉備津神社縁起:概略 藤井 駿 著:「吉備津神社
http://homepage.mac.com/kamokamo/kamokamo/mac/kj2-engi.html
温羅はついに命の軍門に降り、「これからは吉備冠者を名乗るが良かろう。」と、その名を命に献ったので、それから命は吉備津彦命(きびつひこのみこと)と改称された。命は温羅の頭を刎ねて串にさして曝した(岡山市首村はその遺跡)。しかし不思議なことに、その首は何年たっても大声を発して唸り響いて止まない。命は部下の犬飼武(イヌカイタケル)に命じて犬にそれを食わせたが、それでも肉が尽き髑髏となってもなお吠え止まず、命はその首を釜殿の竃の下八尺を掘って埋めた。が、なお、13年間唸りは止まず、近郷に鳴り響き人々を恐れさせた。

 ある夜、命の夢に温羅の霊が現れて、『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をして命の釜殿の神饌を炊がめよ、若し世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸あれば裕かに鳴り、禍あれば荒らかに鳴ろう。命は世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』と告げ、ようやくこの国の人々に平和がおとずれた。