吉備の国の「桃太郎」

吉備の国といえば「桃太郎」ですが、いったいどのような背景があるのでしょうか?
一説に、「上道氏の吉備西部方面への侵攻」があります。

『桃太郎と邪馬台国』(前田晴人 講談社現代新書
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books251.htm

5世紀ごろ吉備国西部にあって雄略帝と婚姻関係があった窪屋臣が勢力を誇っていた。吉備東部には、上道臣がいて葛城氏と結んでいた。5世紀後半に葛城氏が滅び、上道臣は朝廷への隷属を強めたが、同族から賀陽臣が分出し、次第に勢力を付け西部へと拡大していった。この時の力関係や古い伝説(楯葉山=神体山信仰など)からなったのが温羅伝説であった。すなわち、朝廷の立場に立った賀陽氏がイサセリヒコ、意に沿はぬ窪屋臣が温羅として描かれたのである。その温羅伝説を背景として創作されたのが『桃太郎』であった。室町時代細川藤孝(幽斎)が創作したのであろうと思われる。この時の鬼が島は朝鮮などが想定されていた。

同じ説が、「金谷信之」のHPにも見られます。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/okym/ura.htm

これは吉備国内における紛争、なかんずく、吉井川・砂川流域を中心とした備前地域にいた上道氏の勢力が、吉備の中心部である足守川流域、すなわち備中東部を奪い取り、備前・備中にまたがる吉備全体を掌中に収めた戦いの歴史を伝えたものであると考えるようになったのである。


これらの説を参考に、自論を展開してゆきたいと思います。