大宮農協の変遷

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岡山農協(旧西大寺農協)の、大宮支所の住所の変遷を見ると、藤井村を含めた山南地区の農業の変遷を見て取れます。
日本の食料自給率は低下する一方です。
その中で、農地の荒廃の起因である零細農家はどうなるのでしょうか?
JA(農協)にその指導力はあるのでしょうか?
それとも、大規模農家のみのパートナーになってゆくのでしょうか? 難しいですね!


Ⅰ)西大寺農協の時代:農協は、「上阿知小字桜田」にありました。大宮村と「旧邑久町本庄」を結ぶ道路沿いです。
農協ができた最初はまだ邑久郡であったころでしょうから、この場所もうなずけます。
この頃は、まだ「千手」も大宮村でした。

Ⅱ)岡山農協~JA岡山:「下阿知小字辻堂」に移設されました。
岡山県道28号岡山牛窓線沿いです。やはり、車社会になると本線沿いになければ不便です。
藤井村からも山越えでもっとも近い場所になりました。

Ⅲ)大宮支所から、大宮事業所に降格?:かっては農業専業地区であった山南地区も、農業の沈下が進行しています。
江戸時代の干拓地である幸島新田地区には、広い田地が広がっていますが、山間部を含む「畑地」の多い「大宮」「朝日」地区は耕作放置された田畑が増加しています。
こうなると、山南四ヶ村に各々支店が存在するのは、無理があります。
ついに、太伯支所に統合され、「山南支所」ができました。でも、ここは駐車場も狭く、不便です。

Ⅳ)大宮事業所の廃止:「山南支所」の新築によりついに、事業所も廃止されてしまいました。
今度は、駐車場も広く便利です。ライスカントリーも近くです。
これからは、機械化農業に対応できる組合員は存続しても、高齢者の零細農家は自然消滅の方向です。
もう、農協に出荷するものもありません。零細農家は、自家消費のみです。