安仁神社の祭神① → 和仁古(わにこ)??まさか!!

邑久郡誌 第二編 第四章 神社及神道 P549~568 には、
安仁神社について述べられており、其の祭神に関しても独自の解釈を展開しています。

まず、最初の解説は、
神名帳考證」には大國主命六世の孫「阿太賀多須命」之後、和仁古を祀る とあります。

邑久郡誌では、大國主命=出雲 の展開で、ここ安仁神社の地に、出雲神を祭る理由がないと展開しています。

「和仁古」について調べてみると、
和仁古(わにこ)と呼ぶことが多く、後世には「丸子部」ともいわれた。
 丸子部は、大伴氏の一族(三輪族)とされ、紀州熊野の丸子部は、宇井、鈴木と並んで「熊野信仰」を支えた。
 東日本にも「丸子部」は多く、「古屋系図(千葉県)」にも「大伴一族・丸子部」とある。
 また、東北地方の牡鹿半島にいた丸子部から「道嶋氏」がでて奈良朝に仕えている。
 静岡にも「丸子」という地名があったと記憶している。
 丸子部の大伴氏が関東の大友庄に土着し、鎌倉時代に九州に移住したのが大友宗麟の一族ではと想像することもあります。
 和仁古部は、和邇氏が皇別(皇族の子孫)に対し、神別とされ、大国主命の子孫(出雲神族)とされる。
http://blogs.dion.ne.jp/amabegoro/archives/3151722.html


これは、大國主命=三輪族 に基づいています。こちらが真実だと思いますが。
邑久郡にも「美和神社」がありますから、三輪族との関連も否定はできませんが、
すこし無理があるように思います。
安仁(あに)=和仁古(わにこ)の、音通 だけでは無理ではないでしょうか?