「吉備津彦」の謎?何故、『津』なの??

Wikipedia では、
吉備津彦命(きびつひこのみこと)は日本神道の神。吉備冠者(きびのかじゃ)ともいう。
孝霊天皇の皇子で山陽道を主に制圧した四道将軍の一人。
別名(本来の名)を五十狭芹彦(いさせりひこ)といい、吉備国を平定した事によって吉備津彦を名乗る事になる。(吉備津とは「吉備国」の「津」であり吉備津彦とは「吉備の勢力者」の意味)

でももし、「吉備の勢力者」であるなら、「吉備命」「吉備建命」ではないでしょうか?

吉備冠者(きびのかじゃ)は、本来「温羅」の尊称だったはずです。

わざわざ『津』を付ける必要はないと思います。確かにこの地は、
吉備において重要な場所ではありますが、
『津』が付くことにより、かの地を手中に収めた、吉備国の盟主 という印象を与える思いますが、
どうでしょうか??(あくまで、私見ですが・・・)

そして、それは誰なのでしょうか? 誰か、教えてください。