「物部氏」という存在、「石上布都之魂神社」

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古代史を考えるとき、物部氏とは何者か?」という問題に行き着きます。
『yamane』は、河内王権以前の「前ヤマト王権」だと理解しています。
河内王権以前の吉備と物部氏は決して共同体ではなかったと思います。

河内王権(応神・仁徳天皇)=「大和王権」以降、吉備氏は「大和王権で武器を扱う氏族=物部氏」と連合して軍事行動を起こしています。

ところが5世紀後半、吉備上道氏は、「星川皇子の叛乱」への関与のため、その領地の「山部を没収」されてしまいます。吉備上道氏領「山部」は、「製鉄の拠点」です。
「石上布都之魂神社」はその中心でしょう。この地は、吉井川水系旭川水系を結ぶ重要地点です。
この地を支配することとなった「物部氏=石上氏」は、この地の「鉄」を、大和に移送したのでしょう。

その話の象徴として、八岐大蛇を切った「十握剣=布都御魂(ふつのみたま)」の、
ここ「石上布都之魂神社」から、大和の山辺郡(現在天理市)にある名神大社「石上坐布都御魂神社(いわゆる石上神宮)」への移転の話ができたのではないでしょうか?

ちなみに、「石上氏(いそのかみし)」は、686年(朱鳥元年)までに物部氏から本宗家の地位を得ています。
従って「石上神社」自体の創建は、決して物部氏の歴史の中で、初期とは考えられません。

『yamane』は、創建から考えると、「吉備津神社」「安仁神社」よりも、
「石上布都之魂神社」は、時代が下がるのではないかと考えるようになりました。