しばらくの間、『安仁神社』の祭神について考えてきましたが、結局、「上道氏」配下の
「吉備津彦神社」という事で、納得しました。
となると、もう少し「吉備津神社」「吉備津彦神社」について考えて行く必要があります。
少し時間をかけて再考して行きたいと思います。
さて写真は、『安仁神社』拝殿前から、「随神門」を撮ったものですが、このずっと先には何があるのでしょうか?
もちろん、『元々、社殿は背後の宮城山(みやしろやま)の山頂にあったが、康永3年(1344年)に火災で焼失した。その後、備前藩主池田綱政によって現在地である中腹に再建され、備前藩の祈願所となった。』ですから、現在の本殿・拝殿の指す方向にどのような意味があるのかは考えるところですが・・・。
現在、『安仁神社』は、西北(約50度)を向いています。
この先は、「邑久郷・松江伊津岐神社」→「山陽町・両宮山古墳」→「出雲・松江」です。
何か、理由があるのかどうか?