吉備海部の拠点「安仁神社」。いつ創建されたのか?

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さて、「安仁神社」はいつ創建されたでしょうか?
星川皇子事件(479年)」の後始末として、上道臣は山部を奪われ、非吉備系の太伯国造が置かれます。これにより、藤井を拠点とした吉備海部は、大和朝廷の官軍になったものと思われます。

ここから、『yamane』の私見ですが、・・・。

吉備国の海族であった頃は、吉備の穴海からその存在を隠しておく必要があったはずです。
その為、軍港は人目につかない藤井の峡湾の奥、「瀧神社」「綱掛神社」にありました。
(「古代吉備 海賊の拠点 『藤井村』」3/30日を参照)

ところが、大和朝廷の官軍になったことで、逆にその存在を誇示する必要があります。
そのため、拠点を「瀧神社」から鶴山の頂上、軍港も西の湾内に移したものと思われます。

その時、上道氏の抵抗は当然あったはずです、
「安仁神社」は上道氏と、その配下にいた吉備国海軍の慰霊を奉ったものではないでしょうか?
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ところが、安仁神社の『 国史の初見は続日本後紀の承和8年(841年)2月8日条に「安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)」とある 』ものの、このとき既に主祭神は不詳に成っていたようです。

『yamane』にとって、なぜ主祭神が不明のままなのか?疑問点な点でした。

写真は、安仁神社の摂社「右補神社」「左補神社」です。
海軍大将を左右で補佐する兵達を祀ったものです。


安仁神社関係者のHPでは、「ご祭神は幾許神(いくばくのかみ)。本殿の左右に向かい合うように建立されている。主祭神五瀬命日向国より付き従った将軍たちを斎祭る。」とありますが・・・。
五瀬命説は、明治の創作ですから・・・・。