『吉備津彦神社』の謎

吉備津彦神社』は、岡山市一宮(備前国津高郡)にある、備前一ノ宮です。

でも調べて行くと色々不可解なところが出てきます。

延喜式(905~967年編纂)、吉備国名神大社
  「備前国 安仁神社」 
  「備中国 吉備津彦神社
  「備後国 該当なし」
  「美作国 中山神社

備後国一ノ宮「吉備津神社」(福山市も、延喜式にはのっていません。
 673年、吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる。でも、延喜式にはありません。
 本当でしょうか?現在の吉備津彦神社も延喜式にはありませんが、同じ経歴ではないでしょうか?

岡山神社庁のHPで、県内で「吉備津彦」由来の神社<吉備津神社・御崎神社・御前神社>を調べてみると、その大部分が備中にあり、備前にはほとんどありません。(備後は分かりませんが。)
 その代わりに、備前には「八幡宮」が多いように感じます。

何故でしょうか? 検証して行きたいと思います。