備前の神社災難「池田 光政」

岡山藩主「池田 光政」。言わずと知れた名君です。
後楽園は、三大名園ですが、
「光政」は、「水戸藩主・徳川光圀」、「会津藩主・保科正之」と並び江戸時代初期の三名君として称されているそうです。

まじめもすぎれば問題で、岡山名物の料理「祭り寿司」の誕生の要因となった倹約令を言うに及ばず、
宗教面にも手腕を発揮させます。

神儒一致思想から神道を中心とする政策を取り、儒学的合理主義により、
淫祠・邪教を嫌って神社合祀・寺院整理を断行します。

池田氏は、吉備出身ではありません。外門です。始祖池田恒利は、尾張国織田信秀に仕えています。

「光政」の経歴も、「 播磨国姫路藩主 → 因幡国 鳥取藩主 → 備前国 岡山藩主 」ですから、
吉備津彦命なんて知ったこっちゃありません。淫祠・邪教です。

いろいろやってくれたようです!