西大寺愛郷会の雑誌『 西大寺 第七号 』 (昭和56年12月発行)の中に
「 安仁神社と方位 (木村堅一)」があります。
書き出しは、
神社の裏山にのぼる
神気ただよう安仁神社の裏山に登ってみた.、明治のご社殿修築のころ、銅鐸の出土した
というあたりから、深い森に入り、ご正殿の真裏を見通しながら進んだ。登りやすい
のは、少し右沿いに進む方がよいことに気付いた。 ( 中略 )
やや尾根のかかりにたどり着いたかと思って木々をすかすと、頭をのぞかせた、かなり
の岩が見える。それは高さ約一メートル五十、幅二メートルの岩であった。岩の上は
平坦で畳の広さで一畳少々である。祭祀を行うには適している。落葉を払う。周りは
落葉の堆積で土が見えないほどである。この岩のほかには岩らしいものは無い。岩の
上に登ってみると、明りの差し込む木々の聞から、のびた枝に邪魔されながらも、
丸山や綱掛石神社の方向がよく見える位置関係にあった。
安仁神社のある宮城山の南東部分は、Yamaneの所有地で、昭和30年代には
燃料にする為、「 松葉かき 」をしていました。その為、この大岩も知っていましたが
燃料がプロパンガスに変わり、松喰い虫が発生し、山には入らなくなりました。
その為、この岩の存在は『 不明 』のままでした。
このように、文章にされているのが分かり嬉しいです。
イメージでは、もっと大きかったのですが・・・。
当時は、幼稚園で、身長は、150cm以下ですから。
これが、安仁神社の旧社地の磐座であったなら良いのですが。
「 西大寺愛郷会 」 は、貴重な記録を多く残してくれています!