安仁神社の祭神 ⑤ → 阿知使主 ??

安仁神社の祭神について、邑久郡誌を参照に書き連ねてきましたが、そろそろ終わりに近づいてきました。
この邑久郡誌の著者が何方か調べていませんが、結論では「阿知使主」としています。
倉敷の「阿智神社」は、「阿知使主」に由来しています。
岡山県神社庁の紹介でも、
倉敷の古名は「阿知」であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。
 これは、日本書紀応神記(4世紀)に「阿知使主(あちのおみ)が韓国より17県の人達を率いて帰化してきた」とあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している。
http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02033

邑久郡誌では、
余はかつて安仁神社は、漢の帰化人なる阿知使主を祭れるものなりごの説を立てたることありしが、この頃友人吉田東伍氏の著はしたる大日本地名辞書を見るに略これと同説を掲げたれば、左にこれを引用し、更に余の意見を加へて敷説すべし。

次は、この説を詳しく紹介すると共に、反論を加えてゆきたいと思います。