大伯国造は、どこに住んでいたのでしょうか?
以前に触れたようにかっての「邑久郡」は、「吉井川以東~赤穂市」までの
備前海岸部のほとんどの地域をしめていました。
でも、上道氏(山陽町?)との関係を考えれば、吉井川河口周辺に拠点を置いていたはずです。
いま、この地域は「太伯学区」になります。ここには『邑久郷』という地名もあります。
(この呼称が、いつからのものかは未調査ですが!)
この、太伯学区で、岡山神社庁に記載のある神社は下記の通りです。
やはり、『邑久郷』に多いことが分かります。
・神前神社 (岡山市神崎町2466)
・幸地山神社 (岡山市邑久郷1328)
・松江伊津岐神社(岡山市邑久郷1500)
・麻御山神社 (岡山市邑久郷2948)
写真は、太伯小学校・神崎山公園球技場の北にある、貯水場です。