「鶴山」と「音羽山」の間の、狭湾で最も狭い所に有るのが、『咳神様』=『咳神宮』です。 子供の頃は、風邪を引くと、洗米を貰ってきたものです。今も地区の人が、用意してくれています。 さて、名前の由来ですが、『せき』の元となったのは、「関」と「堰…
瀬戸内市の誕生により「邑久郡」も地図から消えてしまいました。 輝いていた邑の歴史をかろうじて知る世代である、 1950年代生まれの、「yamane」が、残された記憶を記録してゆく、 プライベートなブログです。 写真は、ヤフーフォトに記録して行きます…
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