吉備の穴海 の 変遷

倉敷考古館のHPで面白いものを見つけました。

『周辺の遺跡』には、「吉備の穴海」の変遷があります。

弥生時代古墳時代 では大きく変わりませんが、

古墳時代~中世 では、海岸線が大きく変わります。

沖積平野化の進行です。「鉄穴流し」のせいでしょうか?

岡山県南部も新田開発以前の地形になっています。

藤井の穴海は無くなっています。

私説の「船の係留地の片岡への遷移」「社地の音羽山から宮城山への遷移」を

裏付けるものです。

吉備の穴海の変遷