2024-01-01から1年間の記事一覧

片山日子神社 式内社(邑久郡)

近隣の式内社を記録してゆきたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・ 岡山県神社庁では 鎮座地 : 〒701-4264 瀬戸内市長船町土師799 旧社格 : 郷社 , 御祭神:片山日子神 由緒 : 当社は延喜式神名帳に伊勢国鈴鹿郡片山神社と同神とある。 備前国…

美和神社 式内社(邑久郡)②

美和神社(東須恵)について、『 式内社調査報告 (皇學館大學出版部)』では、 【社名】吉田家本には「美和(ミワ)神社」とあり、『大日本史』も「美和神社」と 訓んでゐる。 『 備前國神名帖 』總社本(綿抜本)には「美和神社」、同一宮左樂頭本には「美…

美和神社 式内社(邑久郡)①

邑久郡の式内社、「 美和神社 」 は、『 岡山県神社庁 』 では、2座が 検索されます。 ・瀬戸内市長船町福里341 村社 ・瀬戸内市長船町東須恵1064 郷社 同宮は、備前の支配者:松田氏・宇喜多氏・小早川氏・池田氏 の施策に翻弄された ようです。 『 式内社…

安仁神社 「式内社調査報告」より ④

「式内社調査報告 第22巻(皇學館大學出版部);昭和55年発行」より ①【社名】【所在地】,②【祭神】,③【由緒】 ④【祭祀】【境内地】【社殿及び末社】【寶物・遺物等】 現在と、「祭祀」は違いますね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…

安仁神社 「式内社調査報告」より ③

「式内社調査報告 第22巻(皇學館大學出版部)」より ①【社名】【所在地】,②【祭神】 ③【由緒】 【祭祀】【境内地】【社殿及び末社】【寶物・遺物等】 【由緒】邑久郡誌には記載されていない、知らないことが多くあります。 『 大伯國造と吉備海部は密接…

安仁神社 「式内社調査報告」より ②

「式内社調査報告 第22巻(皇學館大學出版部)」より ①【社名】【所在地】 ②【祭神】 【由緒】【祭祀】【境内地】【社殿及び末社】【寶物・遺物等】 「 邑久郡誌 」 にも、諸説のせられていますが、更に解説されています。 【由緒】でも「 祭神 」 ついて…

安仁神社 「式内社調査報告」より ①

「式内社調査報告 第22巻(皇學館大學出版部)」をスキャナーし、OCR処理し文字に起こしました。安仁神社は、加原耕作 氏(岡山懸総合文化センター主任;岡山大学 法文学部 史学科,日本史専攻)が担当されています。 参考文献・同氏の年齢の為か、旧仮名遣…

「 式内社調査報告 」皇學館大學出版部

延喜式式内社 を調査していると、次の様な書籍が見つかりました。 岡山県立図書館にて借りました。 安仁神社 (備前):7ページ 吉備津彦神社(備中):18ページ 中山神社 (美作):8ページ と、詳細に記載されています。 執筆者の一人に、「藤井 駿(…

咳神宮 丸山公會堂にて会議

今夕(2024/07/27)は丸山公會堂にて圃場整備推進委員会の役員会。 丸山公會堂に入るのは初めてでした。クーラーも設置されて快適です。 県からの採否の連絡はまだありませんが、進めなければなりません! 咳神宮も久しぶりです。御洗米もありました。 咳神宮

吉備海部氏 飛鳥・奈良時代

飛鳥時代となり、白村江・壬申の乱(大友皇子 vs 大海人皇子(天武天皇))を 経て律令制度(中央政権)が強まります。 白村江には、吉備海部も参加したと考えられますが、以降は姿がありません! 大和朝廷に変わり、海軍力の世界ではなくなったようです。 壬…

吉備海部氏 古墳時代後半(応神朝以後)

応神朝以降は、『 吉備氏 』記紀への記載も多くなります。 海部氏については、朝鮮にわたるなどヤマト王権に貢献していることが分かりますが、 上道臣・下道臣については、不幸が続きます。大和王権からの圧政が伺えます。 牛窓には前方後円墳が築造されてい…

吉備海部氏 古墳時代前期(応神朝以前)

安仁神社が吉備海部氏の拠点とした場合、海部氏は、「 何氏 」 でしょうか? 関 裕二 氏 の 「 消えた海洋王国 吉備物部一族の正体 古代史謎解き紀行 」 「 物部氏の正体 大豪族消滅に秘められた古代史最大のトリック 」、他 では、大和王権共同経営者で、吉…

吉備の穴海 の 変遷

倉敷考古館のHPで面白いものを見つけました。 『周辺の遺跡』には、「吉備の穴海」の変遷があります。 弥生時代~古墳時代 では大きく変わりませんが、 古墳時代~中世 では、海岸線が大きく変わります。 沖積平野化の進行です。「鉄穴流し」のせいでしょう…

安仁神社 大伯国海部の拠点

今日、ある会で、安仁神社について話す機会がありました。 yamaneの説は、下記の通りです。 ・大伯国造は、吉井川以西と比較して、ヤマト王権との親密性が高く、 吉備の中で、大伯(一番上の伯父)と発している。 ・安仁神社は、大伯国の海部の拠点であり、…

吉備海部氏 大伯国

安仁神社が、吉備海部氏と関係がある可能性が分かってきました。 大字藤井は、邑久郡<大伯国にあります。 【 2024/06/22 】でも記載しましたが、大伯国は『吉備』の中でも、吉井川以西とは 少し趣が異なります。 吉備津彦命が『針間(播磨)の氷河之前(比…

旧大宮小学校 校歌

藤井の子たちは、火打坂を越えて「大宮小学校」に通いました。 昭和当時は、未舗装で今より急な日中も薄暗い坂道でした。 【2007,02/25】に『小学校を合併した方が良いのではないでしょうか。』と 書いていますが、山南4ヶ村の小学校は、2024年に『山南学…

神社と古墳の分布(備前国)

古墳・古墳群が存在するということは、その場所に特定の集団がいたことを 意味します。そして、その集団の「拠所」として、神社が存在することは 自然なことです。そしてその場所は、神聖とみなされる磐座・巨木・山、等でしょう。仏教伝来までは、御祭神と…

藤井・山南地区の古墳

「 訂改 邑久郡誌 上巻 (第五章 古墳)P182~185 」から 山南地区四ヶ村の古墳について抽出しました。圧倒的に大宮村に多いです。 更に、「 藤井 」に集中しています。 (上阿知でも、藤井の範囲の、ものもあります。) これは、牛窓地区からの連続性がある…

大伯国の古墳③ 牛窓の古墳

牛窓地区には、多くの古墳があります。牛窓は、吉備海部の本拠地と言われますから、 前方後円墳はその主要者が祀られていると考えられます。 年代特定には差があるようです。 岡山市立埋蔵物 https://kofun.info/ 文化財センター 3世紀中期 4世期後半 天神…

大伯国の古墳② 邑久郡の古墳

岡山市埋蔵物文化財センターの資料にあった、古墳を抽出しました。 大伯国としては、和気にも古墳は多い様です。東部には少ないですね。 古墳は、当時の吉井川河口付近・邑久町東部・牛窓に多いです。 (吉備の穴海だった所は、もちろんありません!) ここ…

大伯国の古墳① 備前国の中で・・・

大伯国について、古墳から考えてみたいと思います。 下記は、岡山市埋蔵物文化財センターの資料を加工したものです。 (備後・備中・美作を削除) やはり上道氏の領域には、大きい古墳が多いです。 大伯国は、(当時の)吉井川下流と牛窓湾になります。 牛窓…

「岡山県古代吉備文化財センター」歴史の勉強

藤井 < 大伯国 < 吉備 の歴史を調べています。 今まで「 邑久郡誌 」 等を中心に調べてきましたが、もう少し広く勉強してゆく必要を 感じています。 その為には、「岡山県古代吉備文化財センター」の利用も必要でしょう。 色々な公開情報があるようです! …

「大地からの便り 2024」07/06(土)at 県立博物館

岡山県古代吉備文化財センター開所40周年記念の報告会がありました。 下記の、4報告です。 大勢の方が参加され、熱心に聞かれていました。 どの報告も興味あるもので、知見が広がりました。 来月以降も、色々なイベントがあるようで参加したいと思ってい…

2024年 夏まつり西大寺

夏が来ました! 今年も暑そうです。 7/11(木)安仁神社の「 茅野輪くぐり 」 「 蘇民将来(そみんしょうらい)」と唱えながら、茅野輪を巡りましょう。 そして、『 茅(かや)』一本を貰い、小さい『 茅野輪 』を作りましょう!

吉備と鉄 【神社と鉄についての調査報告】

美作国は、和銅6年(713年)に備前国から内陸部が分立したものです。 『出雲街道』の要所です。 「 美作の分立は、かつての吉備国分解の最終段階であり、 鉄資源を吉備氏から直接、ヤマト政権の管轄下に置くことによる 吉備氏弱体化の意図があったとされる。…

吉備津系神社の分布

【山陽放送学術文化財団・リポート別冊】 「 神社と鉄についての調査報告 (1983.7.1 刊)」を、県立図書館にて借りてきました。 その中に下記の地図がありました。 『 吉備津系神社 』 やはり、備中が中心です。結構、県外にも存在します。 しかし、やはり…

②吉備津彦命とは?【 吉備津彦命の正体(岡本正人) 】大伯国は?!

吉備津彦命 = 彦五十狭芹彦命,若日子建吉備津彦命(稚武彦命),吉備武彦 についてその行動を詳細に抽出されているが、少々解(げ)せぬところがあります。 孝霊天皇時の吉備国平定では、陸路・海路のどちらにしても、「 大伯国 」 が 見られません! ( …

吉備津彦命 = 若日子建吉備津彦命(稚武彦命)。その孫(子?)「 吉備武彦 」

「 吉備武彦 」 は、吉備氏の祖先です。 景行天皇朝における日本武尊東征の従者の一人とされることから、 吉備と大和政権の密接な関係が分かります。 実は吉備が「大和に東遷」する話ではないでしょうか? 吉備氏 『日本書紀』応神天皇22年9月条、『日本三代…

吉備津彦命とは?【 吉備津彦命の正体(岡本正人)1996年刊 】

・「 吉備津彦命 」 は、第7代孝霊天皇皇子で、本の名を「彦五十狭芹彦命」 (大吉備津彦命)である。『日本書紀』では、第10代崇神天皇は、 「 吉備津彦 」を西道に派遣するとある。 ・『古事記』では『日本書紀』と異なり、孝霊天皇の時に弟の「 若日子建…

藤井(安仁神社)への道⑧ by いちごサイクル

西大寺から、安仁神社(藤井:岡山市東区西大寺一宮)まで、少し遠回りし、休憩しながらのサイクリングでした。上り坂・下り坂は「新永安橋」と「神崎山坂」のみの 平坦な行程です。 ノンビリした東区、吉井川左岸で、車の通行量は少な目ですが、 安心しては…